目尻を下げるはマナーの1つ

鏡を見ない意地っ張り

私は自分の顔が好きではない。
自信なんて到底持てる造りではないし、鏡を見るたびに「なんか違うな」と思ってしまう。こういう気持ちを抱えている人は、実は意外と多いのではないだろうか。街を歩いていると、他人の顔は自然と褒められるのに、いざ自分となると急に評価が厳しくなる。自分だけ基準が厳しすぎるのかもしれないけれど、それが“私の中の当たり前”になってしまっていた。昔、「鏡を見て笑顔の練習をしよう」という記事を読んだ。たった数分でいいから、自分の顔と向き合い、口角を上げる練習をすることで、気持ちまで明るくなるという内容だった。しかし、私は頑なにやらなかった。
「好きじゃない顔をわざわざ見つめる必要はないだろう」
「笑顔くらい自然に作れるし」
そんな風に考えていた。どこか意地っ張りで、素直にやってみるという柔軟さがなかったのだ。

けれど今思えば、あれはただの思い上がりだった。自分はできていると思い込んでいるだけで、実際には“自分の顔”という素材と向き合う努力を放棄していただけ。それに気づいた時、なんとも言えない後悔が押し寄せた。

無意識の不機嫌顔

私は「自分の機嫌くらい自分でとるべきだ」と常々思っている。周りに不機嫌なオーラを撒き散らすような人とは絡みたくないし、自分は絶対にそうなるまいと決めていた。
ところが――できていなかった。
ショックだった。ある日、たまたま鏡が視界に入った。特に理由はなかったが、ふと「今の表情ってどうなってるんだろう」と気になってチェックした。するとそこには、私が思っていた“普通の顔”ではなく、完全に不機嫌そのものの表情が浮かんでいた。
眉間の力は抜けているのに、目元と口元が下がり、どことなく「怒っている?」と誤解されても仕方がない雰囲気。これが他人から見えている“素の私の顔”だとしたら……背筋が寒くなった。

もちろん、顔の造りは人それぞれで、表情筋を脱力させても優しい顔のままの人だっている。だが、私は明らかに「脱力=不機嫌」に見えるタイプだったのだ。自覚していなかっただけで、無意識のうちに周囲に余計な誤解を与えていた可能性が高い。今までのコミュニケーションのすれ違いの一部は、もしかするとこの表情のせいだったのかもしれないと思うと、軽くめまいがした。

目尻を下げる努力

「自分は不機嫌顔になりやすい」という事実を知った以上、改善しなければいけない。逃げるわけにはいかない。そこで鏡をじっと見つめ、どうすれば“見れる顔”になるのか真剣に研究した。
目の形? 眉の角度? 口角?
試行錯誤した結果、最も効果的だったのはシンプルに「目尻を少し下げる」ことだった。しかし、これが意外と難しい。
意識している間はできても、無意識に戻るとすぐに元の不機嫌顔に戻ってしまう。さらに、ずっと目尻を下げているのは想像以上に疲れる。「表情筋ってこんなに使うものなのか」と初めて知った。
でも、だからこそ続けがいがある気がした。自分が他人に与える印象を良くするための“マナー”のようなものだと思えば、努力する意味もはっきりする。

これからは、できる限り目尻を下げることを意識しようと思う。何度でも忘れるだろうけれど、そのたびに鏡を見て、少しずつ修正していけばいい。せめて日々の習慣にするために、こうしてメモしておくことにした。

今後の自分がこれを読み返して、「ああ、あの頃はこんなことで悩んでいたな」と笑える日が来れば、それはそれで嬉しい。鏡と少しでも仲良くなれるよう、今日からまた小さな努力を続けていくつもりだ。

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