マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レースとホンダ

マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース

・まぐれで勝つことはありえない。ゆえに、マン島を制する者は、世界のオートバイ市場を制すると。
・世界一過酷なレースと呼ばれる
・1907年から開催事故多発、死者続出
・コースは一般道で行われる

マン島TTレースとホンダ

・昭和3(1928)22歳 浜松アート商会自動車修理工場

・昭和11(1936)東海精機株式会社 ピストンリング製造 空襲で工場全焼

・昭和21(1946)本田技術研究所 自転車用補助エンジンで成功

・昭和23(1948)本田技研工業株式会社 オートバイの開発に着手
四番目のD型エンジン バイク「ドリーム」

・昭和29(1954)マン島出場宣言

・昭和34(1959)マン島出場
約一か月に及ぶ船便。マン島に到着したとき、
マシンにはいたるところにサビが発生し、
食料の大半にはカビが生えていた。

現地の記者団に。
「エンジンはアメリカ製か? 香港あたりで買ってきたのか?」
日本人が〝Jap〟と蔑まれていた時代

・昭和35(1960)マン島2回目
MVアグスタ圧勝→撤退
ホンダは125cc6位

・昭和36(1961)マン島3回目
125cc 1〜5位をホンダが独占!
250ccも1〜5位をホンダが独占!
鈴鹿サーキットをホンダが作った。

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